幕末、発生寺の住職であった知隆和尚は勤王の志厚く、同時は近隣の郷土や庄屋達の密会の場であったという。坂本龍馬も2度目に訪れたおりに志士達と熱論となり境内に安置されていた石仏地蔵を木刀で一刀にて打ち落とした。その地蔵供養のために城山より取ってきた松の木を植えたと伝えられている。松が枯れるたびに、有志が植え替え、現在の松は4代目のものである。 傍には、知隆和尚の墓がある 知る人ぞ知る須崎市観光名所です。